向島百花園・やっと萩の花のトンネルを通ることができた(その224)
9月22日、その日の朝9時過ぎに、市川駅から総武快速線で錦糸町まで行き、そこで地下鉄半蔵門線に乗り換え、東武線の東向島駅で降りた。...
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9月22日、その日の朝9時過ぎに、市川駅から総武快速線で錦糸町まで行き、そこで地下鉄半蔵門線に乗り換え、東武線の東向島駅で降りた。
予想では、午後にも台風の影響で雨になるということであった。湿度は高く、白い雲が多かったが青空が広がっていた。
駅から10分ぐらい歩くと、向島百花園の入り口に着き、中に入って行った。
いつもは、そのまま正面に向かって歩いて行くが、その日は直ぐに右に折れて、萩のトンネルへの最短コースを選んだ。
これまで、萩の花が咲いたトンネルを歩いたことがなかった。
いつも、少し咲き頃を外し、萩の花が咲き誇る瞬間に出会うことがなかった。
その日は「やっと会えた」萩の花の群生を見た瞬間に、そんな思いを感じた。
出会ってみると、萩の花は地味ではあったが、なるほど「秋」を感じさせる草花であった。
赤紫の小さな花が、枝に集まっているような感じであった。その花がトンネル状に咲いていた。
トンネルを3回ほどくぐった。
9時半頃の時間帯であったので、他の客もそれほどいなかった。
僅か、10メートル位のトンネルにアーチ状に萩の花が絡んでいた。
トンネルを出てみると、紫色と白の混ざった菊の花の上に、鮮やかなグリーンの大きな羽を付けたアゲハチョウが盛んに蜜を吸っていた。
白い雲が混ざった青空に、その蝶の大きな羽は綺麗に映っていた。
ビデオカメラに、その姿をしっかりと収めた時に、なぜかほっとした事を覚えている。
萩のトンネルの入り口に、三脚を立て、外から中へと撮影をした。
トンネルの上には、東京スカイツリーの先端の塔が顔を出していた。
9月半ばの初秋の匂いが、その園内に漂い、萩や菊、桔梗などの鮮やかな色見をした秋の草花の息使いが聞こえていた。
その朝の客は、会話から判断すると、日本人だけだったように思えた。
ベンチに座り、持参した水筒で、のどを潤わせてから、その日は帰路に就いた。
市川駅に戻ってきたのは、いつも通り、12時頃であった。
長袖の麻のシャツに汗も滲まず、ほど良い陽気であった。
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MGC(マラソン選考会)レースを追って浅草橋、そしてゴール前へ(その223)
9月15日、その日の朝8時45分頃、市川駅から総武緩行線に乗って、浅草橋駅まで行き、神田川に架かっている「浅草橋」を渡って直ぐのところで、ビデオカメラを構えて、MGCのランナーの到着を待っていた。...
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9月15日、その日の朝8時45分頃、市川駅から総武緩行線に乗って、浅草橋駅まで行き、神田川に架かっている「浅草橋」を渡って直ぐのところで、ビデオカメラを構えて、MGCのランナーの到着を待っていた。
最初のランナーが設楽悠太選手で、颯爽とした走りで、あっという間に目の前を通り抜けて行った。
設楽選手の走りはかなり速く、その後の選手が走って来るまで、かなりの時間が空いた。
カメラを構えた地点は、日本橋の方向からやって来て、浅草雷門で折り返して、もう一度通る場所で、選手たちを2回見ることができた。
女子選手たちは、集団でやって来たので、とっさには誰が、誰だか判別できなかった。
いつも撮影して、馴染みのある神田川であったが、その日は少し違う感じがした。
時計を見ると、充分な時間があったので、MGCのゴール近くに行こうと考えた。
浅草橋駅から、総武線で信濃町まで出て、そこから徒歩で、神宮の絵画館前を通り、ゴール前に至る場所で、もう一度選手たちを撮ることにした。
そこには、浅草橋とは違い、おびただしい人々が、既に待機していた。
少しでも空いているスペースがないものかと、探していると、若干空いている場所があったので、運良く道の先頭に出ることができた。
左右を見ると、観衆でびっちり埋まり、道路の反対側も群衆で埋まっていた。
周囲では、スマホやタブレットから、情報を得て、だれが先頭にいるかなど、口々にしていた。
紅い幟や、サイン幕等を用意して、応援している人々もいた。
暫くすると、先導車がやって来て、その後に中村匠吾選手がトップでやってきた。
次に、服部勇馬選手、大迫傑選手と続いた。
選手の姿が見えて、ビデオで撮ろうとすると、隣の観客も手を伸ばして、スマホで撮影するため、障害が多かった。
観客は、一応に興奮気味であった。
しかも、今回困ったのは、選手を直近で撮影する為にバイクを使って、乗り出して撮影する新兵器が出てきた事であった。
テレビで、見ると、選手の表情がはっきり映り、その分新たな楽しみが増えたのだろうが、道端で見る側から言えば、かなりの邪魔な存在が出現したと感じた。
今回のMGCは、参加する選手の人数も限られ、コンパクトな時間で収められていた。
女子の3名が、通り過ぎて行ったので、その日は帰宅することにした。
もう既に、大勢の帰宅に向かう観客の列が、長々と連なっていた。
自宅に着くと、昼の12時を少し回った頃であった。
その日は天気も良く晴れ、炎天下のマラソン観戦であったので、少々疲れを感じた。
<男子選手まとめ>
<女子選手まとめ>
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「目黒のさんま祭り」 から東京都庭園美術館(その222)
9月8日、その日の朝9時ごろ、市川駅から総武快速線に乗り、品川駅で乗り換え、山手線で目黒駅まで行った。...
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9月8日、その日の朝9時ごろ、市川駅から総武快速線に乗り、品川駅で乗り換え、山手線で目黒駅まで行った。
朝から、もあーとした湿気のある天候であった。
目黒駅に降り、東口の出口に出ると、秋刀魚の匂いが迫ってきて、既に大勢の人々が集まっていた。
演壇が作られ、主催者の挨拶が始まっていた。
道路の向かい側に渡ると、秋刀魚の塩焼きが始まっていた。
例年は岩手・宮古市で水揚げされたばかりのサンマを用意しているが、ことしは深刻な不漁が続いているため、去年水揚げされ冷凍保存していたサンマをふるまうという初めての対応を余儀なくされたという。
それにしても、その広い道路は規制され、道端一杯に秋刀魚の炭火焼きが一斉に始まっていた。
焼き方は独特で、一つの炭火コンロを2つに分け、おおよそ10匹づつ交互に焼いていた。
しかも、そのコンロが、概ね10~20位連なり、焼き手は、パタパタと団扇で煽いでいた。
秋刀魚を食べようとする人々は、もう既に、長い列を作り、プラスチックのお皿を貰う順番を待っていた。
実は、焼けた秋刀魚は、その皿の上に載せられて、それを割りばしで、食べるのだった。
焼き手は、次々に生の秋刀魚をコンロの上に載せ、10匹単位で焼き、仕上がると、次々にお客の皿の上に載せていった。
その辺りは、秋刀魚の匂いがする煙が立ち込めて、もうもうとしていた。
そうした情景を横目に見ながら、その一帯を後に、3分ほど先の「庭園美術館」に足を伸ばした。
景色はガラッと変わり、瀟洒な鉄門から洒落た庭園に入った。
中には、大きな池があり、その中に見事な錦鯉が何匹も泳いでいた。
かなり大きな錦鯉で、赤や白、それに金色をした鯉もいた。
庭園は、綺麗にデザインされ、そこに芝や木々が配置されていた。
高台があり、そこから見る庭園もなかなか趣があった。
三脚を開いて、片手に持ったビデオカメラを取付け、ゆっくりと撮影した。
暫らく、その瀟洒な雰囲気を楽しみ、外に出てみると、早速あの塩焼きの香りがしてきた。
その香りを楽しみながら、その日は目黒駅から市川へと同じ道中を引き返した。
Tシャツは、びっしょり濡れて、内側に着ている肌着まで、汗が染みている感覚があった。
市川に戻ると、丁度時計は昼の12時を指していた。
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