【東日本大震災から10年】
政府主催・追悼式“震災の記憶・後世まで”(3月12日)
東京では、きのう政府主催の追悼式が開かれた。
菅首相は「今後も被災者の生活再建のステージに応じた切れ目のない支援を行っていく」、天皇陛下は「震災の被害の大きさは忘れることのできない記憶として今もなお脳裏から離れることはありません」、宮城県の遺族代表は「私たち若い世代ができることは風化し始めている震災の記憶を改めて呼び起こし後世までその事実を繋いでいくことだと思います」とコメントした。 日米首脳・震災10年で共同メッセージ(3月11日)
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から、きょうで10年となったことに合わせて、菅総理大臣と米国のバイデン大統領が共同メッセージを発表した。
震災発生時の日米の協力は、揺るぎない友情の証しとして記憶され続けるとしたうえで、今後も東北地方の復興と、よりよい未来の実現のため、手を携えて、前進していくとしている。 両首脳は、「10年前、東日本大震災では、数えきれないほどの多くの命が失われ、日本国民に甚大な苦痛と被害をもたらした。厳粛な節目を迎えるにあたり、犠牲となったすべての方々に思いを寄せるとともに、今なお悲しみに暮れているご家族や地域の皆様に、衷心より哀悼の意を表する」としている。 レディーガガから被災地へメッセージ(3月11日)
米国の歌手・レディーガガも被災地に向けてメッセージを寄せた。レディーガガは、東日本大震災の発生後、いち早く日本を訪れるなど被災地の支援に取り組んできた。
東日本大震災10年・日米の歴代大使が対談(3月11日)
東日本大震災から10年となるのに合わせて日米両国の元大使たちが対談し、両国の外交関係とともに震災をきっかけに始まった文化的な交流なども一層強化していく重要性を確認した。
このうち東日本大震災のとき駐日大使として対応にあたったルース元大使は当時、米軍の専門家から福島第一原発の事故の影響で東京に人が住めなくなる可能性を指摘されたと明かした。 また当時、ワシントンで対応にあたった藤崎一郎元駐米大使は「支援をたくさんいただいた」とコメントした。...
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東日本大震災・サンドウィッチマン(3月11日)
東日本大震災から、きょうで10年。宮城県出身のサンドウィッチマンの2人は、震災当時、ロケで宮城県気仙沼市にいた。伊達は「たまたまいて地震にあって、津波を目の当たりにして、宮城県という我々の地元で、俺らは生かされた。勝手に使命感を持っちゃったんです」と語り、それからこの10年、毎月のように被災地に通い、東北の人たちと触れあってきた。
震災直後には「東北魂義援金」を開設し、チャリティーライブなどで寄付を集め、東北を中心に計4億9千万円、宮城県には計1億7千万円を寄付した。...
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羽生結弦・被災地へメッセージ(3月11日)
仙台市出身のフィギュアスケート・羽生結弦が3月11日に合わせてコメントを発表し、東日本大震災の被災地にエールを贈った。
「10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。 まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。簡単には言えない言葉だとわかっています。言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。...
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東日本大震災・大谷翔平がメッセージ(3月11日)
岩手県出身のエンゼルス・大谷翔平が東日本大震災についてコメントを寄せた。
「少しでも被災地の力になれるようにまだまだ頑張っていきたいと思っています。忘れてはいけないこと、忘れられないことも多いと思います」とコメントしている。 岩手・陸前高田・教訓伝える桜を植樹(3月11日)
岩手・陸前高田では津波がどこまで来たのか分かるようにするため、地元のNPOによって震災の後から植樹が行われている。20年かけて1万7000本の桜を植える計画。国連の科学委員会・原発事故・健康への影響報告書(3月10日)
国連科学委員会「UNSCEAR」は9日、福島第1原発事故による被曝の状況や影響を分析し報告書を公表した。
被曝と住民の健康への影響について被曝が直接の原因となる発がんなどの健康への影響が将来的にみられる可能性が低いと指摘した。 被曝した子どもの甲状腺がん増加の原因は高感度のスクリーニングによる検査の結果とし、被曝が原因の甲状腺がんの増加はいずれの年齢層でもみられそうにないとしている。 福島第1原発の作業員についても白血病とがんの発生増加は見られそうにないと結論付けている。...
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東京・日本橋で岩手の物産展(3月10日)
東京・日本橋高島屋では岩手県の特産品などを集めた物産展が開かれている。岩手県からおよそ50店が出店し特産品の食品や工芸品などが販売されている。
陸前高田市の酒蔵は津波で従業員が亡くなったほか、社屋や工場が流される被害を受けたが、同業者から一時、蔵を借りて醸造を再開しことしは14種類の日本酒をそろえた。 大船渡市のすし店は店舗が全壊したあと店名をかえて再建したが、今回は震災前の屋号を掲げて当時のレシピで作った海鮮弁当などを販売。...
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東日本大震災10年・茨城県庁・震災の被害写真など展示(3月10日)
東日本大震災からあすで10年となるのを前に茨城県内の被害の写真などを集めた展示が県庁で始まった。
茨城県では10年前の東日本大震災で24人が亡くなり、1人が行方不明となった。 県は震災の教訓を後世に伝えようと地震発生直後の写真などおよそ280点を展示。北茨城市の平潟漁港に津波が押し寄せたときの様子、鹿嶋市内の道路が崩れ落ちた写真などもあり県内の広い地域での被害を知ることができる。笠間市の病院で割れたガラスは厚さが18ミリあり、揺れの激しさがうかがえる。展示は今月22日まで。 それでも前を向いて・福島双葉町・原点のふるさと(3月9日)
福島第一原発から4キロほど離れた福島県双葉町。去年、一部地域で避難指示が解除されたが、まだ誰も住んでいない。
この場所に毎月足を運ぶ男性がいる。中谷祥久は双葉町で30年間暮らしてきた。震災前は双葉町の伝統行事、だるま市にも毎年参加していた。 しかし原発の事故が中谷の人生を大きく変える。事故直後、双葉町には全町民に避難指示が出た。 中谷も避難所などを転々としたあと福島県いわき市に住むことになった。...
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東日本大震災・原発事故10年・被災地は復興は(3月7日)
福島県では原発事故による影響が続いている。
避難指示は県内の7市町村で続いており、県の2.4%にあたる337平方キロメートルが帰還困難区域に指定されている。復興庁によると、原発事故によを余儀なくされている福島県民は3万5725人。うち県内への避難者が7220人、県外への避難者は2万8505人となっている。 福島県知事の内堀雅雄は「福島の復興は着実に前に進んでいる一方、津波、原発事故、風評被害、台風、新型コロナ、先日の地震と幾重もの困難に直面している。...
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震災10年・第2期復興・心のケアなど重点に(2021年1月2日)
東日本大震災の発生から今年3月で10年となる中、政府は被災地の復興についいて土地の造成や災害公営住宅の建設、沿岸部の道路の復旧などがおおむね完了し総仕上げの段階にあるとしている。
そして4月からの5年間を第2期復興・創生期間と位置づけ心のケアやコミュニティの形成などソフト面の対策に重点的に取り組むことにしている。 一方、東京電力福島第一原子力発電所の周辺では避難指示が解除された地域の生活環境整備や帰還困難区域への対応などが依然課題となっている。...
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