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2019年10月18日(金)
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【いま経済は】
あなたもきっとはいている!?ユニクロも頼るスゴい会社] (3件/週)

09/19 22:27 テレビ東京 【カンブリア宮殿】
絣製造を家業としてきたカイハラは、ジーンズブームを機に、1970年にデニム市場に参入。
3年後には米国・リーバイスと取引を開始。
きっかけは世界的なジーンズブームによる生地不足。
リーバイスのバイヤーは生地を求めて日本にも買い付けに来た。
リーバイスによってカイハラの知名度は上がり、国内外に一気に拡大。
貝原は1990年に社長に就任。
翌年には紡績工場を建設し、デニムの一貫生産を開始。
1998年にはユニクロと取引を開始。
2000年代になると、ジーンズ市場は飽和状態になった。
そんなときにユニクロが持ちかけてきたのが「ヒートテック」の生地を応用した暖かなデニムの開発。
2010年にヒートテックジーンズを発売。
小池栄子の質問「リーバイスはカイハラデニムのどこに惚れた?」カイハラ会長・貝原良治は「染色に一番大きな違いがあった。
色落ちの技術が認められたと思う」、小池栄子の質問「ハイブランドとユニクロの生地の違いは?」貝原は「クオリティーは近い。
ユニクロは製造小売業でムダを省いた。
ムダを省くと上物も安くなる」と話した。
副会長・貝原潤司のコメント。
BtoBに言及。

09/19 22:21 テレビ東京 【カンブリア宮殿】
1960年代の米国のニューシネマ。
「イージーライダー」。
世界中の若者を熱狂させ、この夏亡くなったピーターフォンダの出世作。
この作品の中でヒッピーと呼ばれた若者達が、自由の象徴としてが穿いていたのがジーンズ。
1970年代になると、ジーンズブームは日本にも押し寄せる。
当時カイハラは、デニムでは無く全く違う物を作っていた。
日本三大絣の一つ・備後絣。
カイハラの操業は1893年で、絣の製造業として創業。
戦前、戦後はモンペなどに多く使われ、会社は儲かっていた。
カイハラの絣は染色技術が高かった。
ずっと手作業でやってきた染色を戦後には自社で機械化。
しかし1960年代後半になると、絣の需要は激減。
経営は一転火の車になった。
大手繊維メーカーで修行していた現会長・貝原も呼び戻され、経営の立て直しを図った。
絣に代わるものとして目を付けたのがジーンズ。
貝原はジーンズに目を付け、自社で開発。
デニムに参入して3年後には、米国のリーバイスと出会った。
1970年に国内初「ロープ染色機」を製造。
EDWINのCM映像。
カイハラ社長・貝原良治のコメント。

09/19 22:00 テレビ東京 【カンブリア宮殿】
その商品はユニクロにも並んでいる。
ユニクロのジーンズには欠かすことの出来ない企業「カイハラ社」の存在が有る。
ユニクロのジーンズのポケットの裏側には、「FABRIC BY KAIHARA」と明記されている。
リーバイスの501の歴代モデルにもカイハラの生地が使われている。
カイハラは世界約300社に生地を提供し、国内シェアは50%以上。
カイハラの本社は広島県福山市、1893年創業。
制服は米国発祥のメーカー・Leeに作って貰った。
会長の貝原良治は2014年、ベストジーニスト賞のプレゼンターとして登場。
当時の相手は小池栄子。
デニムの生地作りに密着。
特徴は糸から生地まで作る一貫生産。
独特の色落ちは「カイハラブルー」と言われている。
カイハラが持つ工場は広島県内に4カ所。
世界30カ所に生地を輸出。
最大の強みは開発力。
現在特に力を入れているのは、機能性デニム。
東京都中央区・ユニクロ銀座店、武蔵野市・ユニクロ吉祥寺店、江東区・ユニクロ有明本部、渋谷区・リーバイス原宿フラッグシップストア、渋谷区・エドウイントウキョウハラジュク、pen+「メイドインジャパンを世界へ!」、ベストジーニスト賞の映像。
ワイドフィットカーブジーンズ、ハイライズスキニーアンクルジーンズ、501XX(1955モデル)の紹介。
ユニクロ開発責任者・松原正明、LVCディレクター・ポールオニール、カイハラ社長・貝原良治、紡績課・中村克則、染織課・瀧口修康、加工課・森義之、検査課・清住恵美子のコメント。
エドウイン、リーバイス、ヴィンテージ、和紙に言及。
写真提供:日本ジーンズ協議会。

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