タイでは、学生による政権、君主制改革を求めるデモが頻繁にみられ、ネットメディアでデモの様子が生中継された。政府批判は不敬罪関連法にあたるため、大手の地元メディアが公的に批判的な議論を交わすことは難しいとされている。
9月28日付タイ
『バンコクポスト』は「タイ大手メディアは不文律を再考せざるを得ない」との見出しで以下のように報道している。
学生主導の抗議活動が発生し、タブーとされてきた君主制が公に議論されるようになった。SNSは新たな言論の自由を生み、多くのネット民が不敬罪を恐れずこれまでの伝統を壊している。だが国内では特段大きな変化はなく、タイの主流メディアは、概ね自主検閲を行っている。
先月初旬、バンコクでは人権弁護士Arnon Nampaのハリーポッターをテーマにした君主制改革を求めるデモが行われた。...
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9月28日付タイ
『バンコクポスト』は「タイ大手メディアは不文律を再考せざるを得ない」との見出しで以下のように報道している。
学生主導の抗議活動が発生し、タブーとされてきた君主制が公に議論されるようになった。SNSは新たな言論の自由を生み、多くのネット民が不敬罪を恐れずこれまでの伝統を壊している。だが国内では特段大きな変化はなく、タイの主流メディアは、概ね自主検閲を行っている。
先月初旬、バンコクでは人権弁護士Arnon Nampaのハリーポッターをテーマにした君主制改革を求めるデモが行われた。デモでの彼の演説をライブ放送するかでニュースルームは揺れた。君主制に関する大部分は省かれた。
その後の学生デモでも同じだった。王室経費の透明性等、改革の詳細に踏み込んだ演者もいた。
国内メディアがこの変化に着いて行けず、学生のメッセージを正確に伝えられていない。ジャーナリストは、この話題にどれほど踏み込んで取材出来るかの議論で混乱している。原則として、ジャーナリストは民主主義と言論の自由を推進すべきだ。しかし、タイの特異な法的、社会的コンテキストにより、ほとんどの主流メディアは、君主制に関するニュース報道では、この原則に添おうとしない。
不敬罪に触れる範囲について意見が割れている。ニュース機関では合意が得られない。学生デモの報道を良しとする声もある一方、そうでない意見もある。この問題については、カットされるか曖昧に触れる程度というのが、最もあり得る展開だ。不敬罪に問われれば、大手は痛手が甚大となる。この問題を扱う上で、社会的なプレッシャーも考慮せねばならない。
憲法に関する開かれた健全な議論が求められる。タイメディア機関は国民の信頼を失わないよう、この問題について、実践的アプローチを議論するべきである。
同日付タイ『バンコクポスト』は「抗議デモは声なき大衆に勝てず」との見出しで以下のように報道している。
今月19~20日に行われた学生主導のデモは成功したと見える。だが、憲法改正、学生デモへの嫌がらせを辞める、君主制の改革、という彼らの要求に前向きな反応は聞こえてこない。
理由の一つは、参加者が期待ほど多くなかったことだ。20万人超と言われるが、ロイターの報道では3万程だという。警察は2万に近いとしている。多くは学生ではなく、政党が動かしている赤シャツ隊の支持者だった。
君主制について間違った言葉を使うデモは声なき大衆が賛同できない理由だ。もっと建設的に、言葉を選ぶべきだ。
賛否ある問題に踏み込んだことは重要だが、これは大きなテーマであり、注意深く、現実を見ながらアプローチすることが求められる。変化は必要だが時間がかかるが、声なき大衆の支持を得るためには、デモ主導者も変わらねばならない。もっと忍耐強く、賢く、反対意見に寛容になり、攻撃的アプローチを避け、そして、支援者の法的安全を確保せねばならないだろう。
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