1980年に、白人支配からジンバブエ(アフリカ南東部)を独立に導いた“かつての国民の英雄”ロバート・ムガベ大統領が、軍・与党・民衆の支持を失い、大統領職の継続が困難になっている。37年間に及ぶ独裁政権に“No”を突き付けられたのが大方の見方である。しかし、この裏には中国の陰もちらついている。すなわち、2000年代に同大統領が強行した白人所有の農場を強制収用の影響で、欧米諸国から経済制裁を受けた同大統領は、「東洋への方針転換」方針を掲げて、主に中国との連携を強化することとした。その結果、中国企業の進出含めて、中国からの経済支援を受けて国の立て直しが図られつつあった。しかし、結局は同大統領の経済政策はうまく運ばず、中国側は同大統領ではなく、同国与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)のエマーソン・ムナンガグワ新党首(11月19日に選出)を支持するとの方針転換をするに至っていた。
11月20日付米
『AP通信』:「中国、ムガベ政権後のジンバブエに更に深く浸透」
ロバート・ムガベ大統領の長期政権下、中国がジンバブエにとって投資・貿易・外交関係で深く結びつく国のひとつとなった。
2000年代に同大統領が、白人所有の農場を強制収用したことや人権侵害を理由に、2001年に欧米諸国が経済制裁に踏み切った。そこで同大統領は、「東洋への方針転換」を決め、主として中国との連携強化を推進した。...
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11月20日付米
『AP通信』:「中国、ムガベ政権後のジンバブエに更に深く浸透」
ロバート・ムガベ大統領の長期政権下、中国がジンバブエにとって投資・貿易・外交関係で深く結びつく国のひとつとなった。
2000年代に同大統領が、白人所有の農場を強制収用したことや人権侵害を理由に、2001年に欧米諸国が経済制裁に踏み切った。そこで同大統領は、「東洋への方針転換」を決め、主として中国との連携強化を推進した。
この方針のため、同大統領は足繁く訪中し、また、息女を香港の大学にも進学させた。一方、中国側も、国連安全保障理事会で対ジンバブエ制裁決議が提案された際、しばしば拒否権を発動することで同国を支援した。
しかしながら、最近1年半ほどの間、同大統領の経済政策がうまく運んでいないことに辟易した中国側は、“経済実用主義者”として定評のあるエマーソン・ムナンガグワ氏の支持に方向転換したと言われている。
なお、ムナンガグワ氏は11月19日、与党ZANU-PFの決定によって党首を解任されたムガベ大統領に代わって、新党首に選出されている。
同日付英『Yahooニュース英国版』(『AFP通信』配信):「“戦略家”ムガベ大統領が辞任を拒んで高等戦術を展開」
専門家は、経済政策失敗にも拘らず、ムガベ大統領が政府批判者への弾圧や、自身や家族のみの利益を優先する等の悪政によって、軍・与党、ひいては民衆まで反旗を翻すことになったと分析する。
しかし、11月19日のテレビ演説で同大統領は、大統領職辞任には一言も触れないどころか、来月の与党大会を取り仕切るとまで言い放っている。
別の専門家は、同大統領の辞任拒否の高等戦術は、1980年に政権を担って以降、様々な蓄財をし、それを違法に海外に移転して資産隠しを行ってきたこと等の罪に問われることを避けるためとみている。
同日付ジンバブエ『ジンバブエ・デイリィ』紙:「野党指導者ツァンギライ氏のジンバブエ国民に向けてのメッセージ」
11月18日、ジンバブエ国民の多くがムガベ大統領の退陣を望んだ。これは、軍による政変を支持していることを意味する。
しかし、同大統領は11月19日のテレビ演説で、辞任について一切触れず、依然政権を維持する意思を表明した。これは明らかに民意に反する行為である。
従って、軍と同大統領間の交渉にこれ以上委ねることはできず、政治空白の時間をこれ以上長引かせないため、可及的速やかに善処策を講じる必要がある。
すなわち、今回の軍の行動は愛国心に基づくものと信じるので、軍・議会・与党・野党他の主要関係者を交えた会合を開き、大統領弾劾手続きを含めて対応していくことを進言する。
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