大阪は、東京や京都に比べて国際都市としての知名度は劣る。そこで、1970年開催の大阪万博の大盛況を記憶する多くの高齢者が、2025年万博に大いに期待していると米メディアが報じている。
9月13日付
『AP通信』は、1970年大阪万博の大盛況の記憶と共に2025年万博への期待が高まっていると報じた。
2025年に開催予定の大阪万博は、総コストの大幅上昇や複数の国の撤退等、多くの批判の目に曝されている。
しかし、大成功だった1964年の東京オリンピックに続いて開かれた1970年大阪万博の大盛況を記憶する多くの大阪在住の高齢者にとって、2021年東京オリンピックに続く国際博覧会も盛況となることを大いに期待している。...
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9月13日付
『AP通信』は、1970年大阪万博の大盛況の記憶と共に2025年万博への期待が高まっていると報じた。
2025年に開催予定の大阪万博は、総コストの大幅上昇や複数の国の撤退等、多くの批判の目に曝されている。
しかし、大成功だった1964年の東京オリンピックに続いて開かれた1970年大阪万博の大盛況を記憶する多くの大阪在住の高齢者にとって、2021年東京オリンピックに続く国際博覧会も盛況となることを大いに期待している。
すなわち、1970年万博では、米パビリオンで展示された月の石や、コンピューターネットワークの先駆けである有線ローカルネットワークのイーサネット(LAN)、更には欧米諸国のヨーグルトやフランスパン等が紹介され、日本人が大挙して訪れていた。
当時はまだ、日本人にとって海外旅行は一般的ではなく、海外の著名バンドの演奏を生で聴けたり、様々な国の文化・慣習等を各国パビリオンを訪問することで知ることができ、とても貴重な機会であった。
関西学院大学(1932年創立の私立大)の神余隆博客員教授(74歳、2008~2012年在ドイツ大使)は、“1970年万博で通訳として関わったお陰で、国際強力の強さと人間の創意工夫の可能性に触れることができた”と感慨深く語った。
その上で同教授は、“万博が促進する直接的な対人関係の価値は、オンラインでは再現できない”とし、“これらのイベントで行われる対面での交流、アイデアの交換、共有体験は、私たちのグローバルコミュニティに対するより深い理解と評価をもたらしてくれる“と強調している。
また、万博広報担当の吉村佐知子海外コミュニケーション部長は、“来場者が空港から万博会場まで空飛ぶ車で移動できるよう、手配を進めている”とし、多くの空飛ぶ車の試作品が展示されているので、来場者には興味を持ってみてもらえるとしている。
なお、大阪万博は、“いのち輝く未来社会のデザイン”とのテーマの下、2025年4月13日から10月13日の間に開催されるが、主催者は、海外からの参加者300万人余りを含めて2,820万人の来場者を見込んでいて、既に500万人近い前売り券が売れているとする。
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