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最終予選A代表発表・ハリル監督の求めるもの(8月27日)
「厳しい戦いがこれから始まる。本当に強い気持ちを持って勝利しなければならない」ハリルホジッチ監督は手振りを交え、厳しい表情で決意を述べた。東京都内で25日、ロシアW杯アジア地区最終予選日本代表メンバーの発表が行われた。会見ではそれぞれの選考理由について監督からの説明がなされた。リオオリンピック代表組からは司令塔の大島僚太(川崎)、ナイジェリア戦・コロンビア戦でゴールを決めた浅野拓磨(アーセナル)の2名が選出。...
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「厳しい戦いがこれから始まる。本当に強い気持ちを持って勝利しなければならない」ハリルホジッチ監督は手振りを交え、厳しい表情で決意を述べた。東京都内で25日、ロシアW杯アジア地区最終予選日本代表メンバーの発表が行われた。会見ではそれぞれの選考理由について監督からの説明がなされた。リオオリンピック代表組からは司令塔の大島僚太(川崎)、ナイジェリア戦・コロンビア戦でゴールを決めた浅野拓磨(アーセナル)の2名が選出。大島に対しては「若い選手だが、かなりのクオリティがあると思っています。アグレッシブさのところでまだまだ伸びしろがある」と高い評価だ。残念ながらリオではグループリーグ突破はならなかったU-23日本代表。しかし、その中で際立った存在感を見せたのが大島だった。3試合ともに出場し、試合の流れを変える大きなプレーが随所で光った。リオからの帰国後、体調を崩してインフルエンザにかかってしまったが、20日のJリーグ・浦和戦に先発してフル出場。決勝点をアシストし、チームの勝利に貢献。視察に訪れていたハリル監督の心をがっちり掴んだ。リオでも見せた1対1での球際の強さは魅力だ。
一方で、選考にあたって監督からは厳しい苦言も呈された。昨年11月に5年ぶりの日本代表復帰を果たし、リーグ戦でも活躍中の金崎夢生(鹿島)の落選に関してのものだ。「日本代表候補があのような態度をとってはいけない。それが理由で彼をメンバーから外した」問題となったのは20日の湘南戦。途中交代に際し、握手を求めた石井監督の手を振り払うなどして激怒。その後も監督に詰め寄り、スタッフに制止されてしまった。金崎の高い能力は皆が認めるところである。彼にはハリル監督の言葉を重く受け止め、これをバネに雪辱を果たしてもらいたい。
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2020東京・オリンピックからパラリンピックへ(8月26日)
オリンピックが閉幕したリオデジャネイロでは、引き続き来月7日からパラリンピックが幕を開ける。160の国と地域から約4350人が参加。オリンピックの28競技306種目を上回る528の種目で繰り広げられる、もう一つのアスリートたちの熱戦譜。日本からは4大会連続の金メダルを目指す、車いすテニスの国枝慎吾ら、総勢127人が17の競技に挑む。
一方、2020年8月25日に開幕を迎えるのが東京パラリンピックだ。...
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オリンピックが閉幕したリオデジャネイロでは、引き続き来月7日からパラリンピックが幕を開ける。160の国と地域から約4350人が参加。オリンピックの28競技306種目を上回る528の種目で繰り広げられる、もう一つのアスリートたちの熱戦譜。日本からは4大会連続の金メダルを目指す、車いすテニスの国枝慎吾ら、総勢127人が17の競技に挑む。
一方、2020年8月25日に開幕を迎えるのが東京パラリンピックだ。開幕までちょうどあと4年となった25日。都庁前の広場では、東京パラリンピックのカウントダウンイベントが開催された。出席した小池百合子都知事は「パラリンピックを成功させてこそ、4年後の東京大会が成功したと胸を張って言うことができる」と挨拶を行った。日本国内でパラリンピックが開かれるのは1998年の長野冬季パラリンピック以来。東京では1964年にオリンピックに引き続き開催されてから2回目の開催。夏季パラリンピックを同一都市で二度行うのは史上初めてのこととなる。
しかし、選手の育成環境の拡充や、障害者のスポーツ参加率の向上など課題も多い。勿論バリアフリー対策などのインフラ整備も不可欠だ。パラリンピックは主として肢体不自由や視覚障害などを持ったアスリートを対象とした大会であるが、他にも4年に一度のスポーツの祭典には聴覚障害者のための「デフリンピック」がある。だが、日本での認知度は高いとは言えない。昨年はロサンゼルスで知的障害者のための「スペシャルオリンピックス」も大々的に開催されたが、日本国内では殆ど報道されなかった。
東京パラリンピックの成功のためには、私たち一人一人が障害者スポーツへの関心を持ち、意識を改革することが求められてくるだろう。
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感動と情熱のリオ五輪終幕・東京へのスタート(8月25日)
リオデジャネイロ五輪は21日夜、閉会式が行われ19日間の熱戦に幕が下ろされた。史上最多41個のメダルを獲得した日本選手団は、24日帰国記者会見を行った。「主将をして苦労をしたっていうことは全くないです。光栄でしたし、本当に貴重な経験をさせてもらったなという思いで…感謝の気持ちで一杯です」女子選手初の主将を務めたレスリングの吉田沙保里は、惜しくも四連覇を逃したが、大役を果たしたことへの満足感を口にした。...
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リオデジャネイロ五輪は21日夜、閉会式が行われ19日間の熱戦に幕が下ろされた。史上最多41個のメダルを獲得した日本選手団は、24日帰国記者会見を行った。「主将をして苦労をしたっていうことは全くないです。光栄でしたし、本当に貴重な経験をさせてもらったなという思いで…感謝の気持ちで一杯です」女子選手初の主将を務めたレスリングの吉田沙保里は、惜しくも四連覇を逃したが、大役を果たしたことへの満足感を口にした。今回も「日本選手団の主将は金メダルを獲れない」というジンクスこそ破れなかったものの、金メダル12個をはじめ、合計170人もの入賞者という成績は本当に素晴らしいの一語に尽きる。4位から8位までの入賞数も47。メダルにあと一歩と迫った4位入賞の種目は、卓球女子シングルス・福原愛のほか8つに上った。世界の四強入りを果たしたその顔ぶれを振り返ってみよう。
体操の女子団体はメキシコ五輪以来48年ぶりの4位入賞を果たした。3位中国との差は、僅か 1.632点。いよいよ男女アベック表彰台も見えてきたようだ。同じく僅差で涙を飲んだのが女子ゴルフの野村敏京。最終Rで15位からの猛チャージを見せ、3位にあと1打差まで迫って見せた。試合後、野村は「もったいない。でも、満足感のほうが大きいです」と笑顔で再挑戦を誓う。男子7人制ラグビーも大健闘。初戦で優勝候補・ニュージーランドを破った試合は、海外で大きな衝撃を持って伝えられた。W杯に続くジャイアントキリング(大物食い)。日本ラグビーはまた一歩世界の頂へ近づいた。
2020年東京に向けて、スタートを切る日本のアスリートたち。国内のスポーツ熱にも強い火をつけたリオの感動と情熱は、4年後に向けてますます激しく燃え盛っていくことだろう。
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原点回帰の夏・“古豪対決”となった甲子園(8月24日)
第98回全国高校野球選手権大会で半世紀ぶりの優勝を飾った栃木の作新学院高校野球部。22日に地元宇都宮市に凱旋、深紅の優勝旗を手に優勝報告会を行った。「たくさん応援くださる方々の前でプレーできたことをすごく幸せだと思います」今大会、最速の152キロをマークしたエースの今井達也は感謝の言葉を口にした。
54年前に史上初の春夏連覇を達成した栃木県代表・作新学院と、史上最多37度目の出場の南北海道代表・北海という伝統校同士の対決。...
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第98回全国高校野球選手権大会で半世紀ぶりの優勝を飾った栃木の作新学院高校野球部。22日に地元宇都宮市に凱旋、深紅の優勝旗を手に優勝報告会を行った。「たくさん応援くださる方々の前でプレーできたことをすごく幸せだと思います」今大会、最速の152キロをマークしたエースの今井達也は感謝の言葉を口にした。
54年前に史上初の春夏連覇を達成した栃木県代表・作新学院と、史上最多37度目の出場の南北海道代表・北海という伝統校同士の対決。作新学院は6年連続12回目の出場。エンドランや盗塁を絡めた攻撃的な野球でここまで勝ち上がってきた。一方、昨年初戦負けからの雪辱を図る北海は、北海道代表としては田中将大を擁した駒大苫小牧の連覇以来の頂点を目指す。マウンドに立つのはここまで4試合連続で完投してきたエースで主将の大西健斗。試合は北海が1点を先制したが、作新打線が4回に爆発。一気に5点を奪うと、エース・今井が最後まで投げ切って見事に優勝を決めた。敗れはしたものの、北海・大西の気迫溢れる素晴らしいピッチングにも大いに賞賛を送りたい。
古豪対決らしい好試合を見せた両校ナイン。作新学院のベンチ入りメンバーは18人中17人が栃木県内の選手。北海も15人は道内出身である。無論、選手たちはどこの出身であろうと正々堂々戦い、勝ち抜いてきたことに変わりはない。だが、この二校が準決勝でベンチの全選手が県外出身の明徳義塾と秀岳館を降したことは、非常に印象的であった。古豪らしい全員・全力プレーに高校野球の原点を見た思いがする。
「甲子園は人生の通過点、皆様方の声援や応援がこれからも大切になると思うので、これからもよろしくお願いします」報告会の作新・山本拳輝主将の言葉に球児らしい爽やかさを感じた。
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日本中を魅了した白熱の激闘・水谷隼の戦い(8月23日)
リオ五輪で男女合計3つのメダルに輝いた卓球代表が22日帰国。記者会見を行った。「長い道のりだったんですけど、やっと結果を残すことが出来て嬉しく思います」落ち着いた表情で大会を振り返ったのは、シングルスで日本卓球界初のメダリストとなった水谷隼だ。
水谷は高校時代にドイツに単身留学し、2005年には当時の男子史上最年少(15歳10か月)で世界卓球の日本代表に選出された。史上最年少(17歳7か月)で全日本選手権を制したのは2007年のこと。...
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リオ五輪で男女合計3つのメダルに輝いた卓球代表が22日帰国。記者会見を行った。「長い道のりだったんですけど、やっと結果を残すことが出来て嬉しく思います」落ち着いた表情で大会を振り返ったのは、シングルスで日本卓球界初のメダリストとなった水谷隼だ。
水谷は高校時代にドイツに単身留学し、2005年には当時の男子史上最年少(15歳10か月)で世界卓球の日本代表に選出された。史上最年少(17歳7か月)で全日本選手権を制したのは2007年のこと。そんなエリート街道を驀進する水谷の前に大きな壁が立ちはだかったのは初の五輪出場となった2008年の北京だった。シングルスは3回戦で敗退し、団体も準決勝でドイツに敗れてしまう。続く2012年ロンドン大会でもシングルス・団体ともにメダルには手が届かなかった。一方の女子はロンドンで日本卓球史上初の団体銀メダルという快挙を成し遂げた。ロンドンの帰国時、日本中から脚光を浴びる女子代表に対し、男子の記者会見は記者からの質問も少なく僅か数分で終了。この時、水谷は「今後この悔しさを生かしていきたい」と静かに雪辱を誓っていた。
その後も、世間の話題が女子に集中する中、ひたすら海外リーグで腕を磨き続けた水谷。そして今年3月には世界卓球選手権で男女ともに団体戦銀メダルの快挙を達成し、臨んだ3度目の五輪。水谷は個人での銅メダルに続き、団体戦でもエースとして大車輪の活躍。遂に男子団体に念願の銀メダルをもたらした。大勢の取材陣に囲まれたリオからの帰国会見。「いままでこういう経験がなかったので嬉しい」と27歳の日本のエースは頬を緩ませた。日本中に響いた鋭い白球の応酬の数々。「卓球をもっとメジャースポーツに」彼のもう一つの願いが叶う日も近い。
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