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日本人初優勝・雪辱果たした16歳・平野美宇(10月13日)
アメリカ・フィラデルフィアで行われた卓球ワールドカップの女子シングルスで優勝を決めた平野美宇が凱旋帰国した。日本人初のワールドカップ優勝。それどころか中国人以外が頂点に立ったのは、1996年に女子の大会が始まって以来、初めての快挙だ。また、16歳での優勝は大会史上最年少の記録でもある。帰国会見でオリンピック・世界選手権に並ぶトップレベルの大会を制した感想を聞かれ、「ちょっとびっくりですし、夢の様です。...
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アメリカ・フィラデルフィアで行われた卓球ワールドカップの女子シングルスで優勝を決めた平野美宇が凱旋帰国した。日本人初のワールドカップ優勝。それどころか中国人以外が頂点に立ったのは、1996年に女子の大会が始まって以来、初めての快挙だ。また、16歳での優勝は大会史上最年少の記録でもある。帰国会見でオリンピック・世界選手権に並ぶトップレベルの大会を制した感想を聞かれ、「ちょっとびっくりですし、夢の様です。(リオ五輪から)すぐのワールドカップで優勝できたのでいい流れが来てますね」と屈託のない笑顔を覗かせた。
リオデジャネイロ五輪の表彰台。そこに彼女の姿はなかった。平野は代表を落選。大会中サポートメンバーとして裏方に徹し、福原愛、石川佳純、そしてダブルスのパートナー・伊藤美誠を献身的に支えていた。5歳の時からペアを組んでいる平野・伊藤の「みうみまコンビ」は14年のワールドツアーを史上最年少で優勝。グランドファイナルも制し、一躍大注目を浴びるようになった。ドイツオープンで、賞金金額(約51万円)を聞かされ驚く「みうみま」ペアの愛らしいリアクションの映像は、世界中に配信された。しかし、その後は快進撃を続ける伊藤との差が徐々に開いていく。誰と組んでも戦えるようにという団体戦での戦略のため、みうみまペアも一時解消する形になっていた。今回のワールドカップ、平野は準々決勝で日本人対決となった伊藤とのライバル対決を制し、準決勝・決勝とも世界ランクトップ10以内の台湾の選手を撃破して栄光を手にした。彼女は大会後に、中国のスーパーリーグへの参戦を控えている。今回のW杯には出場しなかった世界最強の中国の選手たちとの凌ぎ合いは、16歳の少女を益々世界的に有名にするに違いあるまい。
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ベイ初のファイナル進出・ラミレス監督の采配(10月12日)
プロ野球のクライマックスシリーズ・ファーストステージ。パリーグではホークスが2連勝でファイナルステージ進出を決めたのに対し、一方のセリーグは最終第3戦までもつれる激戦となった。1勝1敗のタイで迎えたジャイアンツ(2位)対ベイスターズ(3位)。初回にロペスと阿部の2ランホームランの応酬で始まった試合は互いに一歩も譲らぬ接戦のまま延長へ突入。勝負を決めたのは今季11試合しか出場のなかったベイスターズ3人目の捕手・嶺井博希だった。...
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プロ野球のクライマックスシリーズ・ファーストステージ。パリーグではホークスが2連勝でファイナルステージ進出を決めたのに対し、一方のセリーグは最終第3戦までもつれる激戦となった。1勝1敗のタイで迎えたジャイアンツ(2位)対ベイスターズ(3位)。初回にロペスと阿部の2ランホームランの応酬で始まった試合は互いに一歩も譲らぬ接戦のまま延長へ突入。勝負を決めたのは今季11試合しか出場のなかったベイスターズ3人目の捕手・嶺井博希だった。試合前ラミレス監督の「早い段階で使うから用意しておくように」との言葉通り代打で起用。第1打席は凡退したものの、「チームのために何とかつなごうと思った」(嶺井)という延長11回表、ランナー2塁で貴重な勝ち越しタイムリー安打を放った。11回裏、マウンドには嶺井の亜細亜大学の後輩・山崎康晃が登板。かつて全日本大学野球選手権を連覇した山崎‐嶺井のバッテリーは、粘るジャイアンツの反撃を抑え切り、チーム初のファイナル進出を決めた。
選手起用がズバリと嵌ったラミレス監督。現役時代は“ラミちゃん“の愛称で人気を集め、スワローズ、ジャイアンツ、ベイスターズで通算2017安打を記録し、外国人選手として初めて名球会入り。その後2014年に独立リーグのBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスに入団。選手兼コーチとして活躍し、リーグ制覇を成し遂げている。独立リーグ時代のプレイングマネージャーとしての経験が、控え選手にも目を配るきめ細かい采配に繋がっているのだろう。奇しくもこの同じ日、前橋で独立リーグのグランドチャンピオンシップが行われ、ラミレス監督の古巣・群馬は四国アイランドリーグの愛媛を破り初の独立リーグ日本一に輝いた。ラミちゃんの遺産はここでも見事に花開いていたのだ。
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制定から半世紀・今年50回目の「体育の日」(10月11日)
「体育の日」の10日、スポーツを体験する催しや、体を動かすイベントが日本各地で開かれた。東京では東京都スポーツ文化事業団による「スポーツ博覧会・東京2016」が駒沢オリンピック公園他で開催。また、スポーツ庁やJOCなどの主催で「2016スポーツ祭り」がナショナルトレーニングセンターなど国の施設で行われた。いずれのイベントも元オリンピック選手やパラリンピック選手らが講師となり子供たちに手ほどきを行い、多くの家族連れなどが楽しみながらスポーツに接していた。...
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「体育の日」の10日、スポーツを体験する催しや、体を動かすイベントが日本各地で開かれた。東京では東京都スポーツ文化事業団による「スポーツ博覧会・東京2016」が駒沢オリンピック公園他で開催。また、スポーツ庁やJOCなどの主催で「2016スポーツ祭り」がナショナルトレーニングセンターなど国の施設で行われた。いずれのイベントも元オリンピック選手やパラリンピック選手らが講師となり子供たちに手ほどきを行い、多くの家族連れなどが楽しみながらスポーツに接していた。
「体育の日」は昭和41年に「スポーツに親しみ、健康な心身をつちかう」という趣旨のもと制定された祝日。その2年前に行われた東京オリンピック開会式のあった日、10月10日を記念して制定された。しかし、2000年に連休を増やすためのハッピーマンデー法が制定されたことにより、「体育の日」は10月第2月曜日に変更。必ずしも10日が体育の日ではなくなってしまったが、今年はたまたま曜日が重なり、東京五輪から52年目のこの日になった。三連休になることで余暇が増え、スポーツに触れる機会も増したとする評価の一方で、「開会式を記念したものだったのを無くしたのはおかしいのではないか」という意見も聞かれる。
元々1961年に制定された「スポーツ振興法」では10月第1土曜日が「スポーツの日」だった。スポーツ振興法は2011年に全面改正されスポーツ基本法に変わっている。これはいわば“スポーツの憲法”ともいえよう。国会では「体育の日」を「スポーツの日」に変えようという動きもある。身体教育の訳語である体育に対し、スポーツの語源は「気分転換」だ。国民教育からみんなの余暇へ。制定から半世紀を経て「体育の日」の意義も変わりつつあるようだ。
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甦るリオの感動…五輪・パラ合同凱旋パレード(10月10日)
リオのメダリストたちのパレードが7日、東京で行われた。晴天の秋空のもと、オリンピックから50人、パラリンピックから37人の総勢87人が参加。五輪とパラリンピック合同による凱旋パレードが実現したのは今回が初めてだ。
メダリストらを乗せた車列は銀座八丁目から日本橋まで全長約2.5kmを行進。距離はロンドン五輪の凱旋パレードの倍以上に拡大され、沿道にはロンドン五輪を30万人上回る80万人もの観客が詰めかけた。...
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リオのメダリストたちのパレードが7日、東京で行われた。晴天の秋空のもと、オリンピックから50人、パラリンピックから37人の総勢87人が参加。五輪とパラリンピック合同による凱旋パレードが実現したのは今回が初めてだ。
メダリストらを乗せた車列は銀座八丁目から日本橋まで全長約2.5kmを行進。距離はロンドン五輪の凱旋パレードの倍以上に拡大され、沿道にはロンドン五輪を30万人上回る80万人もの観客が詰めかけた。これだけの規模になると警備態勢も大がかりなものになる。警視庁は、テロなどに備えるため近年のイベントで最大規模の態勢で警戒。60人もの警察官が頭に小型カメラを装着し、会場の様子を本部にリアルタイムで送信するなど万全の対策が取られた。パレードは大きなトラブルもなく無事進行し、大成功のうちに終了。2020TOKYOに向けての良い予行演習になったことだろう。
今回もロンドンと同様、2階建て車両の上部から沿道の観客に応えたメダリストたちの凱旋。一方、今回初めて参加するパラリンピックの選手たちのための車両は1階建てのトレーラーが用意された。五輪の選手らが使う2階建て車両だと、沿道からは車椅子の選手の顔が見辛くなるための配慮だ。行進中に事故の無いよう、車椅子をしっかりと固定するための装備も施されていた。このトレーラーはF1ドライバーのパレードで使用されたものをベースに改造した特注品だという。
車両運用一つをとっても健常者と障害者が共にイベントに参加することで見えてくる課題は多い。もっとハンディキャップを持った人たちが暮らしやすくなるための環境作り。そのインフラ整備こそ、2020TOKYOへ向けた東京の街への最も大切な設備投資ではないだろうか。
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ホーム初勝利・厳しい決断を迫られたイラク戦(10月8日)
決戦前日、指揮官はいつになく弱気な言葉を口にしていた。「良い状態の選手も悪い状態の選手もいる。ベストな状態にはなれないだろう」1勝1敗で迎えたアジア最終予選第3戦。仮に引き分け以下の結果に終わればハリルホジッチ監督の進退にも関わるであろうイラク戦。「しかし日本には最終予選を突破する力はある。もちろん明日は勝利する」その宣言通り、日本は最終予選のホーム初白星をあげることが出来た。だが、それは薄氷を踏むような際どい勝利だった。...
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決戦前日、指揮官はいつになく弱気な言葉を口にしていた。「良い状態の選手も悪い状態の選手もいる。ベストな状態にはなれないだろう」1勝1敗で迎えたアジア最終予選第3戦。仮に引き分け以下の結果に終わればハリルホジッチ監督の進退にも関わるであろうイラク戦。「しかし日本には最終予選を突破する力はある。もちろん明日は勝利する」その宣言通り、日本は最終予選のホーム初白星をあげることが出来た。だが、それは薄氷を踏むような際どい勝利だった。
このところの会見でも、記者からの質問に感情を露わにする場面が増えたハリル監督。批判に対してもなかなか自己流を曲げない姿勢が強かったが、今回の合宿では恒例の1時間に及ぶ長時間ミーティングを、キャプテン・長谷部誠の直談判に応じて短縮するなど、明らかな変化が見られた。さらに大きな決断は、トップ下への清武弘嗣の起用。スタメンから不調の香川真司を外したことだ。欧州組の多くは、所属チーム内で出場機会が少なく、特にその中でも香川のプレーは精彩を欠いているのが目立っていた。代わりに注目を集めたのは先発起用のFW原口元気(ヘルタ・ベルリン)。その期待に応える先制ゴールを決め、リーグ戦フル出場の好調さを大一番でも示した。動きの良さは群を抜いていたといえる。試合は同点に追いつかれ、苦しい展開に。80分過ぎ、ここで遂に指揮官は本田圭佑をベンチに下げる。この日の本田はトラップミスや、イラク選手に競り負ける場面も目に付いた。そこにいつもの勝負強さはなかった。
結果的にアディショナルタイムで辛くも勝ちを拾った日本代表。本田、香川という二枚看板、ハリルジャパンの“飛車・角”を外した中での辛勝。11日の豪州戦には果たしてどのような布陣で臨むのか?監督もチームも正念場である。
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