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大関高安誕生!兄弟子稀勢の里から学んだこと(6月1日)
「大関の名に恥じぬよう正々堂々精進します」その決意表明の口上は、シンプルながらも力強く響いてくる。28日に横綱・白鵬の全勝優勝で幕を閉じた大相撲5月場所。11勝4敗の好成績を挙げ、技能賞も受賞した関脇・高安が、正式に大関に昇進を果たした。
平成2年生まれの27歳。横綱・稀勢の里とは同部屋で、同じ茨城県の出身である。前相撲から六年で十両入りし、平成生まれの関取第1号となるなど早くから注目を浴びた。...
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「大関の名に恥じぬよう正々堂々精進します」その決意表明の口上は、シンプルながらも力強く響いてくる。28日に横綱・白鵬の全勝優勝で幕を閉じた大相撲5月場所。11勝4敗の好成績を挙げ、技能賞も受賞した関脇・高安が、正式に大関に昇進を果たした。
平成2年生まれの27歳。横綱・稀勢の里とは同部屋で、同じ茨城県の出身である。前相撲から六年で十両入りし、平成生まれの関取第1号となるなど早くから注目を浴びた。しかし入門当初は鳴門部屋の猛稽古についていけず、部屋から“脱走“を繰り返したこともあったという。そんな高安の支えとなったのが兄弟子の稀勢の里だった。「僕の兄貴です。この世界に入った時からたくさんお世話になっていますし、ここまで来れたのも横綱のおかげで感謝しています」感謝の言葉を口にする高安。先代の故・鳴門親方(元横綱・隆の里)から出稽古が禁じられていたなか、稀勢の里と何番も申し合いを重ねて実力を磨いてきた。一方の稀勢の里も、高安を大関に引き上げることが自らの使命だと以前から公言しており、「本当にこんなに嬉しいことはないですね」と、伝達式後にめったに見せない満面の笑顔を輝かせていた。
大関の地位について高安は「中途半端な覚悟で取れない。半端な覚悟では取れない」と語る。来場所以降も四股名は変更せず、いまの本名のまま大関を務めるという。名前は変わらずとも大関の肩書はとても重い。稀勢の里は、大関在位31場所中、一日も休場することなく土俵に上り続けた。その兄弟子を一番間近で見てきた男が、これからどんな相撲を見せるか。復活を期す稀勢の里共々、土俵を盛り上げてほしい。
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歴史的快挙!佐藤琢磨、インディ500を制す(5月31日)
モータースポーツの歴史が塗り替えられた。F1・モナコグランプリ、ルマン24時間耐久レースと並び、世界三大自動車レースの一つである「インディアナポリス500マイル」(通称:インディ500)で、佐藤琢磨(40)が日本人初優勝を飾った(現地時間5月29日)。この快挙は日本国内ではそれほど大々的には報じられなかったが、海外で大変な反響を呼んでいる。アメリカCNNは、この日のスポーツニュースのトップで報じているほどなのだ。...
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モータースポーツの歴史が塗り替えられた。F1・モナコグランプリ、ルマン24時間耐久レースと並び、世界三大自動車レースの一つである「インディアナポリス500マイル」(通称:インディ500)で、佐藤琢磨(40)が日本人初優勝を飾った(現地時間5月29日)。この快挙は日本国内ではそれほど大々的には報じられなかったが、海外で大変な反響を呼んでいる。アメリカCNNは、この日のスポーツニュースのトップで報じているほどなのだ。
アメリカ中西部インディアナポリスで毎年5月に行われるこのレース。初開催は1911年で、100年を超える歴史を持つ。ここで簡単におさらいしておこう。コースは1周2.5マイル(約4km)。そこをドライバーは最高速度380Km/Hで200周して順位を競う。800kmを4時間弱走り抜く過酷な闘いだ。一方で、死亡事故が多いことでも知られる。観衆は30万人を超え、米国での注目度は4大メジャースポーツに比肩するといっても過言ではない。
佐藤についてはF1ドライバーとしての姿をご記憶の方も多いことだろう。2008年まで佐藤はスーパーアグリF1チームに参戦していた。その後、チームのF1撤退などもありインディカー・シリーズに転身。インディ500は今回が8回目の挑戦だった。この大会をアジアの国の出身選手が制したのも初めてのことである。
インタビューでは英語で「東日本大震災で今も多くの人が仮設住宅で暮らしている。この優勝で日本が少しでも元気になってほしい」とのメッセージを送った。歴史あるレース101回目の決勝に、日本人の足跡がしっかりと刻まれた。
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涙と笑顔の引退会見…宮里藍からの感謝の言葉(5月30日)
「自分としては、もうこれ以上ないゴルフ人生だと思っているので」突然の引退報道から3日。プロゴルファーの宮里藍が都内で会見を行った。45分以上にもわたる記者会見には多数のマスコミが詰めかけ、ゴルフの選手としては異例のテレビ生中継もなされた。
まだ31歳。5歳年上の兄・優作は今年の全米・全英オープンの出場を決めたばかりで、第一線で頑張っている。60代になってもシニアでプレーを続けるプレイヤーも多いゴルフの世界では、かなり早い引退宣言と言える。...
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「自分としては、もうこれ以上ないゴルフ人生だと思っているので」突然の引退報道から3日。プロゴルファーの宮里藍が都内で会見を行った。45分以上にもわたる記者会見には多数のマスコミが詰めかけ、ゴルフの選手としては異例のテレビ生中継もなされた。
まだ31歳。5歳年上の兄・優作は今年の全米・全英オープンの出場を決めたばかりで、第一線で頑張っている。60代になってもシニアでプレーを続けるプレイヤーも多いゴルフの世界では、かなり早い引退宣言と言える。大きな決断を下した理由について3~4年前から「モチベーションの維持が難しくなった」ことを一番の理由として挙げた。確かに12年以降は優勝から遠ざかっており、今年も苦しい戦いが続いていたのは事実だった(5月27日記事参照)。昨年の夏ごろにはすでに決意を固めていたという
宮里のライバルで同い年の横峯さくらはこの日、自身のブログで心境を明かした。宮里から引退の話を聞いたのは昨年末とのこと。アメリカを主戦場とした宮里に対し、ずっと国内でプレーしてきた横峯も一昨年から米ツアーに本格参戦を始めている。その初年度から手厚くサポートしてくれたという宮里に、横峯はブログで「同じときにゴルフができたことは、私にとってとても大切な宝物です」と感謝の言葉を綴った。
「約15年間プロの選手としてここまでプレーしてきて本当に……ええ………本当に幸せな選手時代だったと思います」最後はこみあげてくる思いに声を震わせた宮里。14年前、彗星のようにゴルフ界に現れた天才ゴルファーは、涙と共に、いつものスマイルで別れを告げた。
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田臥勇太の歓喜!・初代B王者の栄冠は栃木に(5月29日)
日本のバスケの歴史を変えたBリーグ。そのチャンピオンシップ決勝が27日行われ、栃木ブレックス(東地区1位)が85-79で川崎ブレイブサンダース(中地区1位)を下し、初の王者に決定した。会場を埋めた観客・ブースターに祝福された、栃木のポイントガード・田臥勇太(36)の目は光るものが見えた。
田臥はバスケの名門校・能代工業で、史上初の3年連続3冠を達成。その後トヨタ車体に入団し新人王に輝いたが、2003年に渡米。...
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日本のバスケの歴史を変えたBリーグ。そのチャンピオンシップ決勝が27日行われ、栃木ブレックス(東地区1位)が85-79で川崎ブレイブサンダース(中地区1位)を下し、初の王者に決定した。会場を埋めた観客・ブースターに祝福された、栃木のポイントガード・田臥勇太(36)の目は光るものが見えた。
田臥はバスケの名門校・能代工業で、史上初の3年連続3冠を達成。その後トヨタ車体に入団し新人王に輝いたが、2003年に渡米。翌年に日本人初となるNBAプレイヤーとなった。2008年以降はプロバスケットボールチーム・栃木ブレックスでプレーを続けている。ブレックスのチームカラーはイエローだ。ファイナルの前日、「ブレックスのファンが会場を黄色に染めてくれるのが楽しみ」と語っていた田伏。これまでリーグの決勝で戦ってきたのは収容人員3000人の代々木第二体育館だった。今回のファイナル会場は1万人クラスの第一体育館に。その大会場に大勢のブースターが詰めかけ、入場者数は日本のバスケリーグ決勝では初の1万人突破となった。表彰式ではイエローの紙吹雪が舞い、館内は正に黄金色に光り輝いていた。
国内に並立していた2つのリーグを統合してスタートしたBリーグ。その記念すべきファーストシーズンの総入場者は約150万人に上り、旧2リーグの総数から50%増の急上昇となった(※リーグ一部・B1合計)。平均入場者数は2777人で、これは国内のインドアスポーツで最多のバレーボール・Vリーグの3000人に迫る勢いである。長らく不遇の時代を味わった日本バスケ。Bリーグの躍進でより一層、スポーツ界を盛り上げていってもらいたい。
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突然の「引退発表」に激震!・宮里藍の決断(5月27日)
26日午後、日本を代表する女子トップアスリートの引退速報が流れ、列島に衝撃が走った。女子プロゴルファー・宮里藍(31)。所属事務所が「今シーズンをもってツアー現役生活を引退する」ことを表明した。
宮里は高校3年生だった2003年、国内女子プロゴルフツアーで当時史上最年少・18歳で優勝を果たし、大きな注目を集めた。その直後に史上初の女子高校生プロゴルファーとしデビューを果たすと、プロ1年目からツアー5勝をマーク。...
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26日午後、日本を代表する女子トップアスリートの引退速報が流れ、列島に衝撃が走った。女子プロゴルファー・宮里藍(31)。所属事務所が「今シーズンをもってツアー現役生活を引退する」ことを表明した。
宮里は高校3年生だった2003年、国内女子プロゴルフツアーで当時史上最年少・18歳で優勝を果たし、大きな注目を集めた。その直後に史上初の女子高校生プロゴルファーとしデビューを果たすと、プロ1年目からツアー5勝をマーク。列島に“藍ちゃんフィーバー“を巻き起こしていく。さらに同じ1985年生まれで小学生大会からのライバル・横峯さくらとの対決は、女子プロゴルフ人気を加熱させていった。
その後、2006年からは米国ツアーに本格参戦。ロサンゼルスを拠点に転戦を続け、2010年には年間5勝を獲得し、日本人として男女通じて初となる世界ランキングトップに輝く。メジャータイトルの獲得も間近との期待が高まっていった。
その後、米ツアーでは通算9勝。だが、メジャー制覇はならず、2012年を最後に優勝から遠ざかり、このところ苦しい戦いが続いていた。昨季は3月の起亜クラシックで3位に入るなど復調を感じさせたが、シーズン終盤に腰の故障で失速してしまった。今シーズンは米ツアー5試合に出場したものの、最高位は34位にとどまっている。その一方で、最近国内大会への出場を増やしていた宮里。日本で再起を果たす道もあったように思えるが、その胸中は如何なるものだったのだろう。来週29日に記者会見を行い、引退を決意した経緯などを話す予定だ。
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