江戸川土手・小鳥たちが桜の木の上で遊ぶ(その249)
3月8日、その日の朝9時半頃、ベランダから江戸川を臨むと、その土手に濃いピンクの早咲きの桜の並木が見えた。...
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3月8日、その日の朝9時半頃、ベランダから江戸川を臨むと、その土手に濃いピンクの早咲きの桜の並木が見えた。
早速、外に出て、その並木まで歩いてみることにした。
外に出ると、霧雨が止んでいない事に気が付き、歩いて行くことを一度諦めた。
昼食をとる頃になると、空も明るくなり、霧雨も止んだように感じたので、もう一度外に出てみた。
街行く人々の手に傘はなく、雨が止んだように思えた。
歩いて20分ほどの江戸川の土手を上ってみた。
4年ほど前には、毎週のようにサイクリングをしていたその場所は、雨でしっとり濡れていた。
雲に閉ざされた、川と空はただ鉛色の色彩であり、人の気配はなく、水際では烏が1羽行水をしていた。
土手を歩いて行くと大規模の工事に行く手を阻まれた。
上った辺りまで、引きっ返し、大回りをして、ピンクの桜並木まで、何とか辿り着いた。
期待していたように、その並木は妖艶な色彩を放ち、その木々には、小鳥たちが遊んでいた。
小鳥たちの鳴き声を頼りに、レンズを向けると、複数の鳥たちが、桜の花びらの中を啄ばんでいた。
レンズの射程から外れると、肉眼で追いかけ、そこにレンズの焦点を当てるという作業を繰り返し、小鳥たちの所作を追い続けた。
止んだと思っていた霧雨は、いつの間にかまた降り出していた。
段々と温度も下がり、指先が冷たくなっていた。
気が付いてみると、ジョギングをしている男の姿が目の前を通って行った。
かれこれ30分程は、ピンクの桜と鳥たちの戯れを楽しく追いかけたのだろうか。
それ以上、新たな展開がないと思い、そこで三脚をたたみ、その日の撮影を終わりにした。
昇って来た坂道を、降りて、その日は自宅へと歩いて行った。
数日振りに、とても寒い日であった。
自宅に着き、手元の時計を見ると、午後2時頃であった。
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「東京マラソン」選手が3回通る蔵前とゴール直前の丸の内仲通り(その248)
3月1日その日、市川駅から午前9時頃の総武緩行線に乗って、浅草橋駅で下車した。...
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3月1日その日、市川駅から午前9時頃の総武緩行線に乗って、浅草橋駅で下車した。9時20分頃であった。
駅舎の階段を降りると、目の前の江戸通りには、警備の警察官や関係者が規制をかけていたが、応援する観衆などはちらほら見かける程度であった。
早速、都営浅草線に乗り換え、隣の蔵前駅まで行った。江戸通りに出てみると、混雑ぶりは浅草橋周辺と変わらなかった。
蔵前橋の方に少し歩くと、緩やかなカーブがあり、日本橋方向から来るマラソン選手が良く見えそうな場所を見つけた。
観戦する場所は、すいていて、どこにでも陣取れそうな気配であった。道路とビルの間から見える空は快晴であった。
それでもしばらくすると、観客で混んできた。
暫くすると、先導のパトカーがやって来て、大型のテレビ中継車の後ろに、パラリンピック候補選手などが勢いよく目の前を通り過ぎて行った。
その時、「がんばれ!」という大きな声が、観衆の中から沸き起こってきた。
やがて、一団の選手がやって来ては、通り過ぎていった。
暫くすると、浅草雷門から選手が折り返してきて、蔵前橋の方角に消えていった。
一段落したので、場所を移動し、蔵前橋が見通せる場所に移った。
15分ほど待っていると、その橋の方から、先頭の車両が見えてきて、ランナーがその後ろにいる気配が感じられた。
それにしても、車両が邪魔で、ランナーが良く見えなかった。
それでも、見通しの良い、その場所から全体の様子が覗えたのが幸いであった。
歓声が起こり、選手たちが次から次へと走り去っていった。ドラマチックであった。
女子選手を数人見た段階で、都営地下鉄線の蔵前駅に足早に行き、浅草橋駅で、JRに乗り換え、隣の秋葉原駅で、山手線に更に乗り換えて、東京駅へと急いだ。
東京駅で時計を見ると、11時であった。
丸の内中央口から、小走りで、仲通りに急いだ。交通規制がかかっており、手間取ってしまった。
人が溢れる仲通りに着くと、間もなく先頭のランナーがやって来て、瞬く間に通り過ぎていった。
その瞬間、凄い歓声が起こった。
その観衆の中から「大迫が記録を更新した」ようだとの声が聞こえてきた。
ランナーは、どんどん間近なゴールへと吸い込まれていった。
観衆の熱い歓声を聞きながら、その日は東京駅から総武快速線で、市川駅まで帰った。
時計を見ると、丁度12時頃であった。
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白梅紅梅を求めて、バスで戸定歴史館へ、そこからじゅんさい池に(その247)
2月23日、朝9時過ぎに、市川駅のバス乗り場に行くと、聖徳学園経由松戸車庫行のバスが出発するところであった。...
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2月23日、朝9時過ぎに、市川駅のバス乗り場に行くと、聖徳学園経由松戸車庫行のバスが出発するところであった。
運転手に「戸定歴史館」を通るかと確認し、そのバスに飛び乗った。
駅のロータリーを出て、京成真間駅を経て、バスは外環道をゆっくりと走った。
30分も乗っただろうか、「戸定歴史館前」でそのバスを降りた。
数年前に、サイクリング車で来た時に覚えのある半地下のトンネルが見えた。
左に折れると、真っ赤な「紅梅」が目の前に現れた。
その横を通り、坂道を登って行くと、階段の上に戸定歴史館の古風な入り口が見えた。
中に入ると、見事な紅梅が出迎えてくれた。
更に中に入って行くと、視界が広がり、江戸川と常磐線が走っている景色が目に入ってきた。
その向こうには、薄っすらではあるが、富士山が見えた。
中庭には、程良い空間があり、そこに紅、そして白い梅の花が咲いていた。
日曜の朝10時頃であったので、人の出はまばらであった。
紅梅も白梅も見事な枝ぶりであり、色彩も艶やかであった。
人影もなさそうな頃合いを狙って、三脚を立て、ビデオカメラで撮影を開始した。
頭上には太陽が顔を出し、白い綿雲が青い空に漂っていた。
時折、子供たちの声が聞こえるだけで、上等の枝ぶりの梅の木が、一群をなしていた。
気が付けば、梅の木にメジロが止まり、盛んに嘴を動かしていた。
水戸藩主最後の殿様、徳川昭武が丹精を込めて造営した庭園が、令和の時代にも受け継がれ、しっとりとした艶を放っていた。
かれこれ1時間もそこに魅せられていたが、ようやく出口に向かうと、その紅梅の枝にもメジロが留まり、盛んに動いていた。
その様子をビデオに収め、その館を後にした。
そこから、バスを乗り継ぎ、国府台にある「じゅん菜池」を訪ねた。
裏口から入り、梅林を抜けたが、戸定歴史館の梅と比べると、貧弱な感じがした。
それでも、湖に浮かんだカルガモの元気な泳ぎや湖畔に植えられた紅白の梅の花が、見事に調和がとれて、美しいメロデーが聞こえてくるようであった。
手元の時計を見ると、12時近くなっていたので、その日は「じゅん菜池」の停留所から市川駅行きのバスに乗り帰路に就いた。
満員のバスを降りて、時計を見ると、12時を少し回った頃であった。ダウンコートを着ていたので寒さを感じることがなかった。
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