夏風邪で「ひまわり畑」は見られず(その108)
7月16日、その日は朝から暑い日であった。
前の週の金曜日から夏風邪のせいか、声が出なくなっていた。
9時ごろ、その日の予定であった「成田ゆめ牧場」に行って、ひまわりを楽しむという予定は、諦めることにした。
隣の小岩駅の、「朝顔市」に行くことも止めた。
早朝の7時から行われている、その市に行くにしては、時間が少し遅くなっていた。
「今日は、ひまわりと朝顔の夢だけを見るか」ともう一度、うたたねをすることにした。...
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7月16日、その日は朝から暑い日であった。
前の週の金曜日から夏風邪のせいか、声が出なくなっていた。
9時ごろ、その日の予定であった「成田ゆめ牧場」に行って、ひまわりを楽しむという予定は、諦めることにした。
隣の小岩駅の、「朝顔市」に行くことも止めた。
早朝の7時から行われている、その市に行くにしては、時間が少し遅くなっていた。
「今日は、ひまわりと朝顔の夢だけを見るか」ともう一度、うたたねをすることにした。
うたたねをして、時計を見ると、12時半であった。
「えっ、もう2時間も寝たのか」と思った。
家のドアを開け、商店街に出て、コーヒーショップに入った。そこは沢山の人で繁盛していた。サンドイッチセットを注文し、アイスコーヒーを飲みながらしばし、くつろいだ。
店の店員は、出来るだけ沢山の客を入れようと、結構詰め込んできた。
コーヒーの味は、老舗らしくコクがあり、おいしかった。
だが、1時半ごろになると、その客がどんどんいなくなっていった。
混むのも一時なんだなと思い、詰め込んできたことも、なんとはなく理解できた。
その日、私は連休中の商店街の雑踏の中に、そのまま消えていった。
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船橋市立金杉小学校のひまわり畑に(その107)
7月9日、その日は朝から暑い晴天の日であった。...
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7月9日、その日は朝から暑い晴天の日であった。
9時ごろJR市川駅で、快速線に乗り、船橋駅で降りた。
降りると北口に出て、そのままエスカレータで降りて、バス乗り場から「桜が丘」のバス停を目指した。
9時半ごろのバスに乗り込むと、20分ぐらいで、そのバス停に到着した。
金杉小学校はどこにあるのか、降りてからきょろきょろしてしまった。
ところどころで、通りがかりの人に道を道を尋ね、やっとその小学校に辿り着いた。
小学校の生徒たちが、世話をしているという「ひまわり畑」を見つけるには、少しうろうろしなければならなかった。
元気の良い太鼓の音を目当てに、林の中の細い道を通ると、眼下にひまわり畑と人の集団が見えた。
行き交う人は、手に一様に「ひまわりの大きな花」を2輪ずつ持っていた。
ひまわり畑に到着し、スマホで写真を撮ろうとすると、もう既に枯れたひまわりの花が目立った。
それでも、絵になるカットを求めて、畑の中に分け入ったりした。
スマホのファインダーに映るひまわりの背景には、住宅が入ってしまいがちであった。
それでも、絵になるカットを追っていると、なかなか大きな綺麗なひまわりに出会った。
しばし、その花を撮っていると、女性が「これを切っても良いですか?」と手にハサミを持って、チョキチョキと動かしている。
若干それなりの絵が取れた後だったので、「ええ、いいですよ」と答えた。
そうか。形の良いひまわりの花があると、鋏で切って、持ち帰るのか。その時、想像していたよりも形の良い花が少ないのは、「そういう事なのか」とやっと気がついた。
近くのテント小屋には、人が溢れ、そこの鉄柱には、「ひまわりの花、2本100円」というプラカードがぶら下がっていた。
皆、手に手に大輪のひまわりの花を、新聞紙に包んでいた。「なるほど」と妙に納得がいった。
ひまわり畑を整備するにも、費用が掛かり、その一端をこの収入で賄うのかも知れないと納得した。
花の様子を見ると、1週間、来るのが遅れた様にも感じた。
それにしてもタイミングが重要である。
「見ど頃」を見極めて、次のスケジュールを考えなければならない、と船橋駅までの渋滞するバスの中で考えさせられた。
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西船橋から武蔵野線に乗り、新松戸で千代田線に乗り換えて北小金の本土寺に紫陽花を(その106)
7月2日、その日の早朝は、雲の重い気象であった。...
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7月2日、その日の早朝は、雲の重い気象であった。
それでも9時ごろには、晴れてくる予感を感じさせる状況に変わった。JR市川駅から総武線に乗って西船橋に出た。
そこから武蔵野線に乗り換えて、新松戸で更に千代田線に乗り換え、北小金駅で降りた。
電車のタイミングが良く、所要時間はわずか30分ぐらいであった。
僅か1か月前にも来た、「本土寺」にその日は紫陽花を楽しみにやってきたのだった。
もう2週間早く来れば、菖蒲も紫陽花も両手に花だったのだろうが、少しタイミングが遅れた。
花めぐりをしていて、気がつくことは「花の命は短い」という現実である。
少しタイミングが外れると、萎れた花と巡り合うことになる。しかも毎週日曜は1日しかない。
どこへ行けば、「見どころの花」に遭遇できるのか、まさに勝負の決断となる。
その日の本土寺の紫陽花のタイミングは、上手く行った。ただ、菖蒲は見る影もなく、萎れていた。
本土寺に着くと、空は晴天に変わっていた。
参道の段階から、紫の紫陽花が迎えてくれていたが、境内に入ると見事な「紫陽花寺」と化していた。
一面に紫や赤紫の、時折白い花がそこら中に咲いていた。
「寺には紫陽花が似合う」と思った。あまり鮮やかな色ではないが、咲き誇ると全体には彩が満ち、華やかさが滲んでくる。
紫陽花という花は、そうした美しさを感じさせる、控え目な花なのかも知れない。
境内を歩くと、百合の類も咲いていた。更には紅葉の木もあった。
額に汗がうっすらと出て、日差しがますます強くなった。
その日は、一面に咲く紫陽花を情景を変えて、心行くまで楽しんだ。
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