本郷の東大病院からお茶の水駅界隈まで(その196)
3月17日、その日の午前9時半頃、JR市川駅から総武緩行線に乗り、お茶の水駅まで行った。...
全部読む
3月17日、その日の午前9時半頃、JR市川駅から総武緩行線に乗り、お茶の水駅まで行った。
それほど寒くはなかったが、薄曇りのはっきりしない天候だった。
お茶の水駅の聖橋口に出ると、東大病院行の都バスに乗った。
家族が入院して、その見舞いに行くところだった。
1時間ほどして見舞いが終わると、病院の入り口辺りから、4Kカメラを右手で支え、東大の本部棟などを通りすがりに撮影し、竜岡門を出た。
すぐ隣に、文京体育館があり、それを抜けると、元富士署の横を通り、順天堂大学へと向かった。
順天堂病院の向かい側には、東京医科歯科大学がそびえ、その辺りは白い巨塔が屹立していた。
お茶の水の橋から、中央総武線を臨むと、神田川と並び堀割型の地形に朱色や黄色の電車が、時折走っているのが見えた。
お茶の水口側から聖橋口方面に歩き、更にソラシティに向かうと、ニコライ堂から12時の時間を告げるチャイムが流れていた。
坂を下りてゆくと、日大理工学部の新しいビル校舎にぶち当たり、その隣に中央大学記念ホールが連なっていた。
その辺りには、日大歯学部の新たな校舎がこの秋に開校するとの看板が立っていた。
更に、歩くと日大病院や予備校の駿台などが立ち並び、大学や病院の一大集積地であった。
聖口界隈を一周した後、その改札口から、駅中に入り、そのまま市川駅まで総武線に揺られて帰宅した。
電車の中は、日曜らしく、リラックスした乗客が多かった。
市川駅に着くと午前12時を少し回っていた。
閉じる
小石川植物園を楽しむ(その195)
3月10日、その日の朝9時半頃、市川駅から総武緩行線に乗って水道橋まで行き、そこから都営三田線に乗り換えて「白山」駅まで行った。...
全部読む
3月10日、その日の朝9時半頃、市川駅から総武緩行線に乗って水道橋まで行き、そこから都営三田線に乗り換えて「白山」駅まで行った。
初春らしく暖かい陽気であったが、はっきりしない空模様であった。
白山駅を降りて、急な坂道を歩いて行くと、お目当ての小石川植物園の入り口に辿り着いた。
入り口の看板には、東京大学付属植物園と銘記されていた。
中に入ると、空間が広く、草木が茂り、少し茫漠とした感じがした。
かなり歩くと、赤い花が付いた木々が目に入ってきた。
早咲きの桜や梅の木のようだった。その辺りでも、それを対象に盛んにシャッターを切っている人がいた。
さらに奥に歩いてゆくと、池があり、その向こうに梅林が見えてきた。
その林の中で、キャンバスを広げ、絵画を楽しんでいる人が見えた。
梅林には、赤や白の梅の花が見事に咲き誇り、素晴らしい眺めであった。
池には、鯉が泳ぎ、その向こうには、旧東京医学校本館の赤い建物が瀟洒な、その存在をを誇っている様であった。
日本庭園の池を楽しみながら、歩いていると、池の中の白い鳥の佇まいに目が留まった。
その鳥は、餌を探しているらしく、静かな動きの中で、時折鋭く水中にそのくちばしを伸ばし、獲物をゲットしていた。
水面に映る、その優雅な姿と、時折見せる鋭い動きが、対照的で、生き物の本質的な部分に接したような感じがした。
見たこともない竹の種類を横目にしながら、歩いてゆくと入ってきた正門に行きつき、その植物園を後にした。
その辺りの地形は、急な坂があり、歩いていると息が切れてしまった。
その日は、白山駅に戻り、来た順路と同じ経路で、市川駅へと帰路に就いた。
市川駅に着いたのは、12時を少し回った頃であった。
冬のダウンジャケットを着ていたので、少し暑さを感じた。
閉じる
雨中の東京マラソンを浅草橋東口で(その194)
3月3日、その日の朝9時40分ごろ、JR市川駅から総武緩行線で浅草橋駅まで行った。...
全部読む
3月3日、その日の朝9時40分ごろ、JR市川駅から総武緩行線で浅草橋駅まで行った。
浅草橋東口に出ると、既に大勢のマラソンファンが詰めかけていた。
駅に面した江戸通りは、東京マラソンの往復共に、そのコースとなっていた。
10時を少し回ったその時間には、大勢のランナーが往路を駆け抜け浅草雷門へと向かっていた。
私は都営地下鉄の階段を下りて、江戸通りを挟んだ反対側に急いだ。
まだ、雷門からの復路の選手たちの到着には間に合うと考えたからだった。
反対側に渡り、少し歩き浅草橋を超えたところに、一角だけ道路の先頭に入り込める場所を見付て、そこを撮影の拠点とすることにした。
雨がしとしとと降り、ダウンジャケットに降りかかってきた。カメラにも水滴が浮かんでいたが、かまってはいられなかった。
試しに、カメラを回してみると、交通整理の巡査の顔が、映ってしまい、なかなか上手いアングルが見つからなかった。
隣には、親子3代にわたるマラソンファンが割り込んできて、盛んに選手の下馬評を語っていた。
やがて、パラの選手の車がやってきた。凄く速いスピードで、前を過ぎて行った。
その内に、先導車とみられる自動車がやってきて、その後に最初のランナーが見えてきた。
そのランナーが走り去ると、他の車に先導された選手が、次々にやってきては、あっという間に目の前を過ぎて行った。
往路を走る大勢のランナーをバックに、復路の選手たちは、一人か数人でやってきた。
選手が通り過ぎると「がんばれー」の声が、あちらこちらから聞こえた。
応援の人の中には、ビニール傘でカメラを遮る人もいた。
兎に角、小雨降るマラソンレースには熱気がこもっていた。
「こんなに大勢の人が熱くなっているのだ」と胸中では感心した。
熱気がむんむんする先頭の列を外れ、先ほど来た駅の方に歩き、東口の人形店の前を通ると、「ひな祭り」の人形が沢山飾られていた。
その日は、ひな祭りでもあったのだった。
江戸通りには、ボランティアが大勢並び、水の供給やごみの回収のためのテーブルが引き詰められていた。
ここ一帯、いや東京マラソンの順路一帯は、その日「東京マラソン」一色に染められていたと感じた。
再度、地下鉄の通路を使って、江戸通りをくぐり、JRの浅草橋駅に辿り着くと、そのまま市川駅へと帰宅の途に就いた。
時計を見ると、まだ11時頃だった。小雨が降り続く、肌寒い日であった。
閉じる
「隅田川シーズンズ」内の検索